身近に「ところがぎっちょん」を口癖とする人間がいる。
死語の類いであるが、度々使用されるので、こっちにも伝染ってしまったらどうしようと日々不安に感じている。しかし、この言葉を耳にすると何ともいえず嫌な気分になってしまうので、おそらくその不安は杞憂に終わると思うのだが。
それにしても死語というのは耳にすると、どうしてああも恥ずかしい気分になってしまうのだろう。それが流行っていた時代背景や、社会の空気感というのか、そういった付随するもろもろを思い出し、それらを何の疑いもなく受け入れていた自分を見いだして恥じ入ってしまうのだろうか。
先日も「カルチャー・ショック」という言葉を何年かぶりに耳にしたのだが、これもいささか背筋がこそばゆくなってしまう言葉になってきた。いまマスコミがしきりに使っている言葉もやがてこのように時代が過ぎるにつれ、徐々に死んでゆくに違いない。